瞬報社グループの沿革
■文明開化と共に
弊社の歴史は、文明開化から間もない明治15年(1882年)に遡ります。この年、山口県下関市南部町に元長府藩士、和田藤七が当時、下関にあった米穀取引所の相場の速報として、市況日刊紙を発行する事を目的に活版印刷業を開設したのが始まりでした。設立時とほぼ同時期に、現在ある瞬報社の頭文字SPSを模った会社のロゴマークと社是をすでに作っており、それは今でも変わらずに弊社の指針となっております。
瞬 時も念頭を離るる事なき顧客本位
報 ゆるに誠意懇切を主とする我社は
社 界の進運に伴ひ斯業の革新に努む
以後、和田藤七の長女マチと藤田光之進が結婚し、藤田家が事業を継承する事となり、先々代社長、永之進、先代社長、康雄、そして現社長、良郎と数えて5代目となり、その歴史は創業以来2022年で140年となります。
■株式会社設立
明治30年に日刊紙発行を停止し活版印刷専業となり、同44年に下関市王司町に新工場を建設し、移転をいたしました。また、昭和12年には下関市竹崎町に新工場を建設移転し、資本金5万円にて株式会社を設立、現在名、瞬報社写真印刷株式会社と命名いたしました。同22年には資本金を100万円に増資、下関市長崎町に新工場を建設、本社を全面移転いたしました。
■長崎町時代の本社社屋
■文選植字台
■技術の瞬報へ
この間、先代社長(藤田康雄)が昭和35年、当時海外旅行へ行くのさえままならぬ時代に、ドイツエゲン社にアルミ平凹版の技術視察に行った事が、特筆されるべき大転機となりました。その頃、まだ日本ではジンク版(亜鉛)による版であったため、耐刷性もインクの着肉性も良くありませんでした。先代社長は、習得してきた当時の世界最先端技術を見事に開花させ、日本では類を見ない力強い印刷を可能といたしました。このアルミ平凹版による印刷は、同43年から使用し始めたPS版の出現まで使用され、試行錯誤を繰り返しながらノウハウを蓄積し、トップレベルの印刷技術を維持し続けました。尚、現在はフィルムレスのCTP出力プレートとなっておりますが、その時代からの技術の蓄積が、今でも根底に力強く流れ続けております。この瞬報社の印刷技術は当時、外務省にて非常に高く評価され、海外向け広報カレンダー「いけばな」を受注、東京への進出の糸口となり、技術の瞬報の名は瞬く間に全国に広がりました。
■アルミ平凹版ホイラー
■躍進の時代
昭和36年、技術力をベースに東京支店を開設、東京地区での営業を開始いたしました。同40年には増大する需要を満たすため、東京都多摩市に東京工場を建設、操業を開始いたしました。同42年には、コールドタイプ(写真植字・タイプライター)化へ移行するため、活字をいち早く全面廃止、同44年には自動現像機及びスキャナを導入し、カラー製版技術のより一層の充実と、製品の向上を図りました。そして同48年、時あたかも第一次オイルショックで、日本国中の経済が冷水を浴びせられている最中、下関市清末に新工場を建設、本社機能も全面移転をし、合わせて菊全判平版4色機を導入いたしました。
移転後は昭和49年に福岡営業所開設、同54年に北九州営業所開設、同58年には山口営業所開設、それと同時に東京工場を新改築し、また東京支店を現在の渋谷区へと移転をし(2005年からはデザインセンターを併設)、地域の増大するニーズに合わせ、高品質なカラー印刷をキャッチフレーズに、積極的な営業展開を繰り広げてまいりました。この間も設備の拡充及び増設に力を注ぎこんでまいりました。主な設備の導入を列挙いたしますと、時代の流れを予測した上で、同55年に電算植字システムの導入、同59年にCEPS(コンピュータによる画像処理)を導入し、デジタル化への歩みを積極的に推進し始めた頃でした。更に同62年には山口県山口市小郡にある共営印刷(株)を買収、平成2年に瞬報社オフリン印刷(株)と社名変更し、新たに瞬報社グループとして加わりました。それと同時にB判輪転機の設備を充実、蓄積してきた印刷技術をバックボーンとして、流通業界へ進出し、総合印刷企業として躍進をしてまいりました。
■B版輪転機(オフリン印刷)
■充実・安定の時期へ
そして平成4年、下関市長府扇町に足掛け4年の歳月を費やして完成した下関印刷団地へ、本社工場を全面移転いたしました。日々コストの削減と短納期、そして印刷品質の更なる向上と安定化という、相反する課題を実現するべく同12年からは、順次フィルムレスの実現に向けてCTP(Computer To Plate)化へ移行を開始いたしました。(同22年で100%移行終了)また同13年に東京工場にて菊全判枚葉8色機導入、更に同18年には本社にて菊全判枚葉8色機導入をし、コストの削減と短納期化の実現をいたしました。また同17年には本社工場にて、職場の環境保護の立場から国際環境規格であるISO14001認証を取得、更に印刷品質の安定と向上、そして環境保護印刷を実践するために、E3PA環境保護印刷:ゴールドプラスの認証を全国に先駆けて取得いたしました。増え続ける預託データと個人データの保全のためには、同18年にプライバシーマークを取得、POD(Print On Demand)印刷のバリアブルデータの処理にも、その漏洩の危険を排除いたしました。同19年には使用する用紙そのものにもCO2削減という、環境に配慮されたFSC®(森林管理協議会)認証紙での印刷を可能とした資格も所得し、環境保護という、これからの企業の社会的責任が問われる課題に対しても、真摯に向き合っております。同21年にはB判輪転機の設備を更新、更なるコストの削減に努めております。遡りますが、同14年に福岡営業所を支店に昇格、人員の充実を図り、お客様の要望に迅速に応えられる体制を調えました
■原点を見つめ続ける力
現在では、情報加工はマルチメディアをも巻き込み、DTPはDesk Top PrepressからDesk Top Premediaへと変貌を遂げております。特にその加工技術の側面がクローズアップされ、WEBやDBとの親和性を高めると共に、電子書籍やデジタルサイネージなどの情報デバイスには欠かせないコアなテクノロジーとなっており、弊社もそれに即座に対応しております。現在では、マルチデバイス化への対応力を更に高めるべく日々研鑽を重ねております。また、近年のテーマである「ワンストップのソリューション提案」を推し進めるべく、セールスプロモーション事業にも力を入れており、文化イベントや大規模なセールスイベント、CM制作を始めとした映像制作も含めた各種プロモーションにおいても、企画から運営までの実績も数多くあります。
私達はあくまでもお客様が抱えている問題や、地域の発展と活性化に、今何が必要かを自問し、相手の立場に立って、本当に役に立つ事は何かと考えながら、今日までそれを実践してまいりました。そして常に情熱を持って正直に考え、その中から革新的な進化を遂げてまいりました。この姿勢は最初に表記した社是となんら変わるものではなく、未来永劫に続く弊社の指針でもあります。
これからも瞬報社をよろしくお願い申し上げます。
■8色オフセット枚要印刷機(写真印刷本社工場)
- ▼1882年(明治15)
- 下関市西南部町に和田藤七が下関にあった米穀取引所の相場速報として、市況日刊紙の発刊を目的に活版印刷業“瞬報社”を創業
- ▼1897年(明治30)
- 日刊紙発行を停止、活版印刷専業となる
- ▼1911年(明治44)
- 下関市王司町に新工場建設、移転
- ▼1937年(昭和12)
- 下関市竹崎町に新工場建設、移転
資本金五万円にて株式会社設立 社名を「瞬報社写真印刷株式会社」とする - ▼1947年(昭和22)
- 資本金を百万円に増資
下関市長崎町に新工場建設、移転 - ▼1960年(昭和35)
- 先代社長 藤田康雄がアルミ平凹版技術習得のため独エゲン社に技術視察、 カラー印刷技術の飛躍的向上に成功
- ▼1961年(昭和36)
- 印刷技術力をベースに東京支店を開設し、都内を中心に営業展開を始める
- ▼1965年(昭和40)
- 東京都多摩市に東京工場を建設操業
- ▼1967年(昭和42)
- コールドタイプ移行のため活字を廃止
- ▼1969年(昭和44)
- カラー製版技術向上を図り、自動現像機およびスキャナを導入
- ▼1973年(昭和48)
- 下関市清末に新工場建設、移転
オフセット4色機を導入 - ▼1974年(昭和49)
- 福岡市中央区天神に福岡営業所開設
- ▼1979年(昭和54)
- 北九州市小倉北区紺屋に北九州営業所開設
- ▼1980年(昭和55)
- 電算写植システム(モリサワ社製)を導入
- ▼1983年(昭和58)
- 山口市神田町に山口営業所開設
東京工場改築、東京支店を渋谷区千駄ヶ谷へ移転 - ▼1984年(昭和59)
- トータルスキャナシステム(日本サイテックス社製)を導入
- ▼1987年(昭和62)
- 山口県小郡町の「共営印刷株式会社」を買収
- ▼1990年(平成2)
- 共営印刷を「瞬報社オフリン印刷株式会社」と社名変更し、新たに瞬報社グループとして加入
フルデジタル化へ向けMacintoshを中心としたDTPシステムを導入 - ▼1992年(平成4)
- 下関市長府扇町に完成した下関印刷団地(15社)へ本社工場を全面移転
本社工場にA判オフセット輪転機を導入
スキャナシステムとの統合化によりDTPデータのフィルム出力に完全対応(写真印刷) - ▼1998年(平成10)
- プリプレスの手集版(アナログ製版)を廃し、フルデジタル化へ移行
マルチメディアへの対応へ向け、メディア開発事業部を開設(写真印刷本社工場) - ▼2000年(平成12)
- フィルムレスのCTPへ移行開始(写真印刷)
- ▼2001年(平成13)
- 東京工場ハイデルオフセット枚葉8色機導入(写真印刷)
- ▼2002年(平成14)
- 福岡営業所を九州支店に昇格(写真印刷)
- ▼2005年(平成17)
- ISO14001:2004認証(写真印刷本社工場)
E3PA環境保護印刷:ゴールドプラス、ゴールド、シルバー認証(写真印刷本社工場) - ▼2006年(平成18)
- オンデマンド印刷機(FujiXerox Docutech)導入(オフリン印刷)
プライバシーマーク取得(オフリン印刷)
ハイデルオフセット枚葉8色機導入(写真印刷本社工場)
プロモーション事業に本格参入 - ▼2007年(平成19)
- E3PA環境保護印刷:ゴールドプラス、ゴールド、シルバー認証(オフリン印刷)
モノクロ オンデマンド印刷機(Canon iR7105i)導入(写真印刷本社工場)
プライバシーマーク取得(写真印刷)
FSC®-CoC認証(東京工場・山口営業所を除く) - ▼2009年(平成21)
- AI搭載の新型輪転印刷機を導入(オフリン印刷)
- ▼2011年(平成23)
- 高速オンデマンド印刷機(Fuji Xerox Color 800 Press)導入(写真印刷本社工場、オフリン印刷)
「第66回国民体育大会2011おいでませ山口国体」および「山口大会」の運営事業に参加(写真印刷本社)
下関市岬之町に下関営業所を開設(オフリン印刷) - ▼2014年(平成26)
- 小森オフセット輪転機(フルAPC.CIP3対応)導入(オフリン印刷)
- ▼2015年(平成27)
- Color1000iPress 金刷り対応のカラーオンデマンド印刷機導入(オフリン印刷)
- ▼2016年(平成28)
- 下関市長府扇町に下関物流センター開設(オフリン印刷)
- ▼2018年(平成30)
- 山口サテライト工場にPOD事業部を開設及びスタジオを建設(オフリン印刷)
- ▼2019年(平成31/令和元)
- 小森オフセットUV印刷機を導入(写真印刷)
本社工場が「グリーンプリンティング工場」に認定(写真印刷)